【豊臣兄弟!】“仮病の見舞い”で信長の罠に…弟・織田信勝、史実が伝える無情な最期 (3/6ページ)
さて、信勝は信長を織田家の次期当主として認めず、独自の行動をとって信長と織田の家督と権益をめぐる争いを繰り広げました。
他にも織田信友(のぶとも。大和守)や織田信光(のぶみつ。信長叔父)、織田信時(のぶとき。安房守)らが争いに加わりましたが、一人また一人と脱落。信長と信勝だけが、家督争いの舞台に残ったのです。
やがて弘治2年(1556年)に信長の舅であり支援者であった美濃の斎藤道三が、嫡男の斎藤義龍(DAIGO)に討たれると、尾張国内の各勢力が打倒信長で連携します。
苦境に立たされた信長にとどめを刺そうと、信勝は柴田勝家(山口馬木也)や林秀貞(諏訪太朗)、林美作守(みまさかのかみ)らを味方につけて挙兵しました。
同年8月に稲生(いのう。名古屋市西区)で両雄は激突しますが、信勝は2倍以上の兵力を備えながら、信長に逆転負けを喫してしまいます。
