【豊臣兄弟!】“仮病の見舞い”で信長の罠に…弟・織田信勝、史実が伝える無情な最期 (2/6ページ)

Japaaan

このころから織田家の次期当主はどちらになるか?家中ではさまざまな思惑が交錯していたことでしょう。

翌天文21年(1552年)に信秀が亡くなると、父の葬儀で暴挙に及んだ信長に対し、信勝は礼儀正しく振舞ったことが『信長公記』に記されています。

……信長御焼香に御出其時信長公御仕立長つかの大刀わきさしを三五なわにてまかせられ髪はちやせんに巻立袴もめし候はて仏前へ御出有て抹香をくはつと御つかみ候て仏前へ投懸御帰……

※『信長公記』首巻九「備後守病死之事」

【意訳】信長が父の葬儀に現れる。そのいでたちは大太刀と脇差を腰に巻いた荒縄へ差し、頭は茶筅髷(ちゃせんまげ)をそそり立てて、袴すら穿いていない。仏前へ進み出ると抹香を「くわっ」と鷲掴みにし、父の位牌に投げつけて立ち去った。

……御舎弟勘十郎は折目高成肩灰袴めし候て有へき如くの御沙汰也 三郎信長公を例の大うつけよと執〳〵評判候し也其中に筑紫の客僧一人あれこそ国は持人よと申たる由也……

※『信長公記』首巻九「備後守病死之事」

【意訳】いっぽう弟の信勝は肩衣と袴の裃(かみしも)姿で礼儀正しく振舞った。参列者は「あれが例の大うつけか」と囁いたが、その中にいた一人の客僧が「あれこそ国を持つ器だ」と口にしたそうな。

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