【豊臣兄弟!】“仮病の見舞い”で信長の罠に…弟・織田信勝、史実が伝える無情な最期 (1/6ページ)
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第3回放送「決戦前夜」で、佐久間盛重に言及されていた織田信勝。
兄・信長と家督を争い、いったんは母のとりなしで赦免されながら、最後は“仮病を装った信長の見舞い”をきっかけに殺される……そんな波乱の生涯を史料『信長公記』が伝えます。
盛重「(うつけの信長よりも)信勝様の方がよかったか……」
この記事では、信勝が「なぜ信長と対照的に見られたのか」、そして「どのようにして最期を迎えたのか」を、史料の記述をもとに辿ります。
『信長公記』が記す、信長と信勝の決定的な差
織田信勝は天文5年(1536年)、織田信秀(のぶひで。弾正忠家当主)と土田御前(どたごぜん)の間に誕生しました。2歳年長の信長とは実兄弟で、すぐ下の弟に当たります。
江戸時代の系図類では織田信行(のぶゆき)と記されていますが、同時代の史料ではおおむね織田信勝・織田達成(みちなり)・織田信成などと記されていました。
通称は勘十郎(かんじゅうろう)、兄の信長とは違って「うつけ」な振る舞いをせず、よく対比されていたようです。
天文20年(1551年)に父の信秀が病床に臥すと、信長と共同で所領の統治を行うようになりました。