『豊臣兄弟!』妻・あさひは売らない!秀吉(藤吉郎)の非情な条件を退けた甚助の悲劇的な末路 (2/4ページ)

Japaaan

兵庫県新温泉町)を与えられ、秀長の与力となりました。晴れて城主となった吉成とあさひは、この頃が幸せの頂点だったのかも知れません。

やがて天正10年(1582年)に本能寺の変が勃発して織田信長(小栗旬)が横死を遂げると、混乱に乗じて多伊城を奪われてしまいます。

命からがら脱出した吉成ですが、同年10月に執り行われた信長の葬儀では奉行を務め、その後の権力継承戦に尽力しました。

妻を売るなど言語道断!秀吉の命令に出家で抗議

秀吉の命令で離縁させられ、家康の正室として嫁がされた朝日姫(画像:Wikipedia)

しかし多伊城を奪われてしまった失態を秀吉は根に持っていたらしく、これが後にあさひと離縁させられる原因になったと『武家事紀』は伝えています。

かくして天正13年(1585年)、秀吉はあさひを徳川家康(松下洸平)の正室として嫁がせる(人質として差し出す)ため、吉成と離縁させてしまったのでした。

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