『豊臣兄弟!』史実だった安土城ライトアップ!織田信長の “戦国最強エンタメ王” 伝説 (5/5ページ)

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1581年(天正9年)7月、安土に滞在していた宣教師の帰国を見送るため、城下の灯りをすべて消させ、提灯の明かりで安土城だけを浮かび上がらせたといいます。

琵琶湖の水面に映る光の城……。
さぞ幻想的な光景だったことでしょう。多くの見物人が集まり、その光のショーを楽しんだと伝えられています。

そして信長にとってまさに晩年となる、翌1582年(天正10年)の正月には、安土を訪れる人々に「大名・小名を問わず、百文を持参せよ」と通達を出します。いわば“見物料”です。

そして信長自らが城内で待ち構え、直接それを受け取ったといいます。豪華絢爛な安土城に人々が驚き、感嘆する様子を目の当たりにして、信長は大いに満足したと伝えられています。

安土城は見せるための城でもあった(安土城郭資料館所)

恐れられる存在でありながら、同時に「見せる」「魅せる」ことを楽しむ人物。庶民にも気さくに声をかけ、イベントを通じて自らの権威を演出する。そしてその“演出力”こそが、のちに秀吉へと受け継がれていくのです。

信長は、単なる武将ではなく、優れたプロデューサーでもあったのかもしれません。どうですか、あなたの中の信長像、少し変わったのではないでしょうか?

「派手好き」「エンタメ好き」のDNAは、やがて豊臣秀吉へと受け継がれていきます。信長を超える“演出家”となった秀吉の話は、またの機会にご紹介しましょう。

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