『豊臣兄弟!』で竹中半兵衛(菅田将暉)ついに登場!若くして無念の死を遂げた名軍師の生涯 (6/8ページ)

Japaaan

また姉川の合戦(元亀元・1570年7月30日)では安藤守就の部隊に属し、後に秀吉の与力として横山城(滋賀県長浜市)の守備に当たりました。この頃に正式な与力となったのでしょう。

若き命を戦陣に散らした最期

竹中半兵衛(画像:Wikipedia)

やがて秀吉が信長の命によって中国遠征の途につくと、半兵衛は調略を駆使して天正6年(1578年)5月24日に備前八幡山城(兵庫県赤穂市?岡山県赤磐市?)を攻略。この武功を信長から賞され、銀子100両を賜わったと言います。

また秀吉に仕えていた黒田官兵衛こと黒田孝高(倉悠貴)が、謀叛を起こした荒木村重(トータス松本)の説得に赴いて捕らわれてしまった際、信長は「官兵衛は荒木に寝返った」と思い込んでしまいました。

そこで人質にとっていた官兵衛の嫡男である松寿丸(後の黒田長政)を斬るよう秀吉に命じますが、半兵衛は松寿丸を家臣である不破矢足(ふわ やたり)の屋敷に匿います。信長には偽の首を差し出したのでしょう。

後に救出された勘兵衛は、半兵衛の計らいに心から感謝し、半兵衛から家紋をもらい受けました。家紋をいただくことは「あなたの分家になります≒下位に立ちます」というリスペクトの意思表示です。

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