本能寺の変、原因は“金”だった?信長も直面した「資金繰り悪化」と天下取りの転落ルート (2/4ページ)

Japaaan

さらに信長は、商業の自由化を進める楽市・楽座を採用し、流通を活性化させました。

こうした「減税」と「自由化」を実行できた背景には、信長の家がもともと豊かな財力を持っていたことがあります。

祖父の織田信定は津島湊の利権を握り、貿易で莫大な富を築いていました。信長の初期の余裕のある振る舞いは、この財力に支えられていたのです。

莫大な必要資金

しかし、信長の政策は諸刃の剣でした。

彼が天下統一を目指す過程で、必要となる資金は急速に膨れ上がっていきます。

永禄十一年、信長は足利義昭を奉じて上洛しますが、その費用だけで2万貫、現代換算で数十億円規模を使い切ったとされます。

さらに彼は天皇家や朝廷に多額の献金を行い、政治的な地位を固めようとしました。正親町天皇の皇子・誠仁親王の元服費用として献上した金額は300貫、現代の価値で約6,000万円に相当します。

しかし、この献金に使われたのは価値の低い悪銭でした。商人が受け取りを拒否するほどの代物で、実際にはこの時点で信長の財政が逼迫していたことがわかります。

そこで信長は資金を補うため、寺社や商業都市からの強制徴収に踏み切っています。例えば法隆寺からは1,000貫(約2億円)、石山本願寺からは5,000貫(約10億円)、堺から「矢銭(軍資金)」として2万貫(約4億円)といったあんばいです。

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