『豊臣兄弟!』直を失った小一郎は何を誓ったのか――竹中半兵衛の知略と斎藤龍興の末路…第9回振り返り (2/6ページ)
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
劇中で何度か言及されていましたが、竹中半兵衛はわずかな手勢で斎藤竜興(濱田龍臣)の本拠地であった稲葉山城を乗っ取ったことがあります。
『太閤記』によると、半兵衛は家中の斎藤飛騨守(ひだのかみ)より侮辱され、櫓の上から小便をかけられたことがありました。
飛騨守は竜興の寵臣であったことから、訴え出ても取り合ってもらえません。これを恨みに思った半兵衛は、稲葉山城の乗っ取りを計画します。
まずは人質として稲葉山城にいた弟の竹中重矩(しげのり)に仮病をさせ、見舞いや看病の名目で精鋭を送り込みました。
そして自身は単身城内へ乗り込み、重矩の部屋で武装して一気に挙兵。斎藤飛騨守を斬り殺し、まんまと稲葉山城の乗っ取りに成功したのです。
竜興は慌てふためいて逃亡。この騒ぎを聞いた信長は、半兵衛に対して「稲葉山城を明け渡せば美濃半国をやろう」と持ちかけました。
しかし半兵衛は「今回は主君の非道を諫めるために城を乗っ取ったまでであり、国を売るようなことはしない」と固辞。そして竜興に稲葉山城を返還します。
※実際は舅の安藤守就(田中哲司)らと共に稲葉山城を守っていましたが、竜興の反撃により奪還されてしまったようです。
そんな過去があったため、竜興が半兵衛を警戒したのも無理はないでしょう。
三顧の礼とは?目上の者が目下の者を何度も訪ね、礼を尽くして迎え入れることを言います。
三国志で有名な劉備(りゅう び。玄徳)が、諸葛亮(しょかつ りょう。孔明)を軍師に迎え入れるため、三度にわたって彼を訪ねたエピソードが由来です。
江戸時代に成立した『絵本太閤記』ではこれをさらに脚色して、七度も通って半兵衛を口説き落とした「栗原山中七度通い(くりはらさんちゅうしちどがよい)」にアレンジされました。
そこまでされてしまっては、流石に「知らぬ顔の半兵衛」とはいかず、秀吉に力を貸すことを決意します。
俗説では「信長ではなく秀吉に仕えたい」と申し出たとされているものの、近年の研究では「半兵衛・重矩ともに信長の直臣として仕えた」という見方が主流のようです。