『豊臣兄弟!』直を失った小一郎は何を誓ったのか――竹中半兵衛の知略と斎藤龍興の末路…第9回振り返り (3/6ページ)
劇中では「強い相手≒小一郎と秀吉とは一度戦いたかった」と残念がっていましたが、これから大いに軍略を発揮してくれることでしょう。
劉備と諸葛亮が「水魚の交わり」であったように、秀吉&小一郎と半兵衛も水魚の交わりとなるのか、今後の関係に注目です。
逃亡した斎藤竜興の末路は
安藤守就に半兵衛の処刑を命じる斎藤竜興。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
永禄10年(1567年)8月、美濃三人衆(安藤守就・稲葉良通・氏家直元)が織田に内通したため、ついに稲葉山城を追われてしまった斎藤竜興。当時20歳、その後大名に復帰することはありませんでした。
木曽川を下って伊勢長島(三重県桑名市)へ逃亡、同時期に信長が伊勢長島へ兵を出しているため、竜興を追ってきたのかも知れません(諸説あり)。
機内へ逃げ込んだ竜興は三好三人衆(岩成友通・三好宗渭・三好長逸)と連携して信長に対抗、さらに石山本願寺などの支援を受けながら戦い続けます。
その後、越前国の朝倉義景(鶴見辰吾)を頼って客将として遇されました。元亀3年(1572年)には美濃奪還作戦を決行するも、肝心の朝倉勢が雪のために撤退。仕方なく越前へ撤退します。
翌天正元年(1573年)8月に朝倉・浅井長政(中島歩)と共に出陣し、近江国北部で信長と対決しました。しかしここで氏家直昌(なおまさ。