スピリチュアルに巨額浪費!戦国武将・武田信玄の実像は名将と真逆、隠された“金の亡者”の素顔とは (3/5ページ)
甲斐国の庶民が重税に苦しむ一方で、信玄は宗教的な支出を惜しまなかったのです。
こうした支出は、信玄の精神的な不安の裏返しとも考えられます。
先述の通り、甲斐国は自然災害が多く、領国経営は常に危機と隣り合わせでした。
信玄は戦国最強と称されながらも内心では不安を抱えており、宗教に頼らざるを得なかったのかもしれません。
その結果として庶民の負担は増し、信玄の領国は重税によって疲弊していったのだから皮肉な話です。
信玄は天下を取れたのか?さて、信玄は元亀三年、足利義昭の信長討伐令に応じて上洛を開始します。
この後、信玄が長生きしていれば天下を取れたのかという議論は、歴史ファンの間で今も続いていますね。
しかし、信玄の財政状況を見れば、天下を取ったとしてもそれを維持するのは難しかったと考えられます。
甲斐国の生産力は低く、重税によって領民は疲弊していました。宗教への過剰な支出も財政を圧迫し、信玄の統治は決して安定していたとはいえません。