“恥ずかしい姿”のはずが大反響…明治時代に実在した洗い髪の美人モデル「安達ツギ」の数奇な生涯 (2/4ページ)
父は対馬府中藩の朝鮮奉行を務めた土岐守守道(もりみち)です。1886年に上京し、1889年には小田貴雄(よしお)という男性と結婚します。
小田貴雄は、鳥取師範学校の校長に就任。その際、ツギは鳥取で最初に洋装をした女性として話題になりました。しかし、結婚生活は長くは続かず、離婚。
そののち、彼女は新橋の芸妓になる道を選びます。芸妓としては、「お妻」と名乗るようになりました。
運命を変えた美人コンテスト「東京百美人」人の外見でランキング付けをすることにはさまざまな意見があると思いますが、1891年(明治24年)に日本で初めての美人コンテストが浅草凌雲閣(りょううんかく)で開催されました。
超美人さん揃い!明治時代に日本初のミスコン「東京百美人」が開催されたその理由とは?凌雲閣は、当時日本で一番高い建物だったのですが、エレベーターが故障し、当局の指導により運転停止命令が出ました。
繁忙期を前にエレベーターが故障してしまったことを受けて、人々が長い階段を上がり下がりするときに、飽きないような方法がないかということで、この美人コンテストの開催が決まったのです。
そのコンテストが、彼女の運命を大きく変えることになりました。
