“恥ずかしい姿”のはずが大反響…明治時代に実在した洗い髪の美人モデル「安達ツギ」の数奇な生涯
現在、NHK朝ドラ「ばけばけ」が放送中ですが、本作の舞台にもなっている明治時代の日本は、まだ写真が珍しかった時代でした。そんな明治の日本で、たった1枚の写真から一躍“時の人”になった女性がいました。
その名は、安達ツギ。のちに芸妓「お妻」として知られ、当時としては異例ともいえる“バズり”を起こした人物です。しかも彼女が人々の視線をさらった理由は、豪華な衣装でも、華やかな肩書でもありませんでした。
きっかけはむしろ、当時の常識では「人前で見せるのは恥ずかしい」とされた姿だったのです。その姿は街で噂を呼び、やがて写真や商品パッケージにも広がっていきました。
今でいうなら、思いがけず注目を集め、そのまま広告の顔にまでなっていったようなものかもしれません。
では、いったい安達ツギはどんな女性で、なぜそこまで人々を熱狂させたのでしょうか。
まずは、その生い立ちからたどってみましょう。
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小田貴雄は、鳥取師範学校の校長に就任。その際、ツギは鳥取で最初に洋装をした女性として話題になりました。しかし、結婚生活は長くは続かず、離婚。
そののち、彼女は新橋の芸妓になる道を選びます。芸妓としては、「お妻」と名乗るようになりました。
運命を変えた美人コンテスト「東京百美人」人の外見でランキング付けをすることにはさまざまな意見があると思いますが、1891年(明治24年)に日本で初めての美人コンテストが浅草凌雲閣(りょううんかく)で開催されました。
超美人さん揃い!明治時代に日本初のミスコン「東京百美人」が開催されたその理由とは?凌雲閣は、当時日本で一番高い建物だったのですが、エレベーターが故障し、当局の指導により運転停止命令が出ました。
繁忙期を前にエレベーターが故障してしまったことを受けて、人々が長い階段を上がり下がりするときに、飽きないような方法がないかということで、この美人コンテストの開催が決まったのです。
そのコンテストが、彼女の運命を大きく変えることになりました。
「洗い髪の姿」で話題になったお妻
残念ながら上位入賞とはならなかったお妻ですが、彼女は別の観点から話題に。それは、彼女が当日長い髪を垂らしたまま、いわゆる「洗い髪の姿」で会場に向かったことがきっかけでした。
彼女は自宅で髪結いを待っていたのですが、いつまで経っても髪結いが来なかったのです。
当時女性は髪を結って人前に出るのがマナーだったため、「洗い髪の姿」は恥ずかしいものとされていました。
コンテストのための写真撮影には、身支度をして髪を結って望んだのですが、会場に来るまでの姿(人力車に乗る濡髪の美人が街中を疾走)が話題となったのです。
ちなみに、1892年の「第二回百美人」に出場した際には、洗い髪の写真でエントリーして2位入賞を果たしています。
上記のエピソードから、彼女は「洗い髪のお妻」として人気を博していきます。洗髪料のパッケージを飾ったり、絵葉書に写真が掲載されたり。芸妓としてお座敷に出るときにも、お客さんから「洗い髪のままで」というリクエストが多かったといいます。
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