【豊臣兄弟!】松永久秀との因縁、織田信長に最後まで抗った三好三人衆・石成友通の壮絶な最期 (4/6ページ)
永禄9年(1566年)には久秀に与していた勝竜寺城を攻略、永禄10年(1567年)になると久秀を攻めるため大和国へ乗り込みました。
しかし奇襲を受けて敗北。この時に本陣をしいていた東大寺(奈良の大仏)が炎上してしまいます。大仏を焼いたのは久秀か、それとも三好三人衆かははっきりしません。
永禄11年(1568年)に織田信長が足利義昭(尾上右近)を奉じて上洛すると、三好三人衆はそれまで敵対していた六角承禎(ろっかく じょうてい)らと組んで激しく抵抗しました。
盟友たちが次々と逃亡または降伏(兵力温存のためとも言われる)、そんな中で友通と池田勝正(いけだ かつまさ)だけは頑強に抵抗したそうです。
それでも9月29日には勝竜寺城を放棄、三好家の本国である阿波国(徳島県)へと退却。信長の上洛を許すことになりました。
本圀寺の変後、信長に仕えるが……
しかしこれは兵力温存を意図した戦略的撤退であり、上洛を果たした信長が岐阜へ帰国すると、反撃のために四国各地の兵を掻き集めます。
続いて、信長に臣従した松永久秀が挨拶のために大和国を離れると、いよいよ挙兵して足利義昭を襲撃しました(本圀寺の変)。
果たして信長や久秀の援軍は間に合わなかったものの、三好義継らが援軍に駆けつけたことから、あえなく撃退されてしまいます。