大河『豊臣兄弟!』では描かれない?浅井長政への忠義を貫き通した戦国武将・赤尾清綱の壮絶な最期 (1/3ページ)

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大河『豊臣兄弟!』では描かれない?浅井長政への忠義を貫き通した戦国武将・赤尾清綱の壮絶な最期

人間はとかく3という数字が好きなのか、戦国時代にも三好三人衆とか美濃三人衆が活躍していました。

北近江を領していた浅井長政(中島歩)にも浅井三将と呼ばれる者がいたようで、その顔ぶれは以下の通りです。

赤尾清綱(あかお きよつな) 雨森清貞(あめのもり きよさだ) 海北綱親(かいほう つなちか)

今回は赤尾清綱を紹介。果たしてどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。

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浅井家三代に仕える

浅井長政(画像:Wikipedia)

赤尾清綱は永正11年(1514年)、近江の国人である赤尾教政(のりまさ)の子として誕生しました。

元服して通称を孫三郎(まごさぶろう)、やがて美作守(みまさかのかみ)の名乗りを許されます。

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