『豊臣兄弟!』あの足利義昭 側近は誰?義昭と信長に仕え架け橋となった武将・和田惟政の壮絶な生涯 (4/5ページ)
義昭のためとは言え、その胸中は複雑だったのかも(イメージ)
それからも惟政は、幕臣でありながら織田家臣として外交・軍事・政治と多方面で活躍しました。義昭と信長を結ぶ橋渡し役を担っていたようです。
そんな中、惟政はいきなり信長から謹慎を命じられてしまいました。
まったく身に覚えが……ない訳ではありません。惟政自身の落ち度ではないけれど、義昭と信長の関係が徐々に険悪なものとなっており、そのとばっちりを受けたのでしょう。
他にも引見の不許可や2万クルザード(2万石?2万貫?)の減封……一説には惟政の活躍を妬んだ僧侶の朝山日乗(ちょうざん にちじょう)が讒言したとも言われます。
惟政はこの仕打ちに抗議、出家剃髪して身の潔白を示しました。これより宗意(そうい)と号し、官職の紀伊守と合わせて紀伊入道などと呼ばれます。
その甲斐あってか、信長は元亀元年(1570年)に惟政を赦して名誉を回復。3万クルザードを加増しました。
惟政はこれに奉公の意欲を取り戻したのか、同年の姉川合戦では大いに奮闘したようです。
戦場にて壮絶な最期