『豊臣兄弟!』朝倉義景(鶴見辰吾)は本当に愚将だったのか?上洛しなかった“意外に堅実”な理由 (2/6ページ)
成功した結果を知っているから、上洛しなかった義景が愚かに見えてしまうのかも知れない。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
時は永禄9年(1566)秋、一人の男が越前へやって来ました。彼こそは足利義秋(義昭)。三好三人衆や松永久秀に暗殺された将軍・足利義輝の弟です。
その要求は「自分を奉じて上洛し、自分を将軍にしてほしい」という極めてシンプルなものでした。
彼が将軍となった結果を知っている後世の私たちは「すぐにも上洛して、天下を獲ればいいじゃん」と思ってしまうかも知れません。
しかし考えてもみてください。確かに彼は将軍の弟です。しかし「だから何だ」とも言えなくはないでしょうか。
将軍暗殺という混乱に乗じて、資格もないのにorほぼこじつけで「我こそは」と名乗りを挙げる例も少なくありません。
下手な人物を担ぎ上げれば我が身が危ないし、舌先三寸の義憤に駆られて挙兵など、軽々なことはできないのです。
要するに義昭は「胡散臭い」存在だったと言えます。
と言って軽く扱えば後でどう転ぶかわからない……義景ならずとも、慎重に接するのは道理と言えるでしょう。
実際に義景ははじめ義昭を敦賀に迎え、一年以上経ってからようやく一乗谷へ迎えています。
この処遇から、義昭という存在の厄介さと、義景の堅実さがうかがい知れるのではないでしょうか。