『豊臣兄弟!』朝倉義景(鶴見辰吾)を見限り信長へ降伏…それでも救われなかった朝倉一門・織田景綱の末路 (4/4ページ)

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薩摩の島津家久(しまづ いえひさ)が上洛した時の様子を記録した『家久君上京日記』によると、天正3年(1575年)5月15日に坂本城下(滋賀県大津市)で開かれた酒宴に「朝倉兵庫助」という者が参加していました。

この兵庫助が景綱なのか、あるいは別人物(兵庫助を襲名した息子?)なのかはわかりません。せめて安らかに暮らしていてほしいと願うばかりです。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」には登場しないでしょうが、こんな人物もいたんだな、くらいに覚えておくと朝倉一族の悲哀をより深く感じられることでしょう。

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※参考文献:

松原信之『越前朝倉氏の研究』吉川弘文館、2025年10月 松原信之『越前朝倉一族』新人物往来社、1996年10月 『福井県大百科事典』福井新聞社 1991年6月

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