『豊臣兄弟!』朝倉義景(鶴見辰吾)を見限り信長へ降伏…それでも救われなかった朝倉一門・織田景綱の末路 (1/4ページ)

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『豊臣兄弟!』朝倉義景(鶴見辰吾)を見限り信長へ降伏…それでも救われなかった朝倉一門・織田景綱の末路

天正元年(1573年)8月20日、朝倉景鏡(池内万作)の裏切りによって朝倉義景(鶴見辰吾)が自刃。ここに北陸の名門・朝倉氏は滅亡します。大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、今後1〜2話のうちに描かれることになりそうです。

しかし朝倉一族のすべてが滅び去った訳ではなく、景鏡のように織田信長(小栗旬)へ臣従することで命脈を永らえた者もいました。

『豊臣兄弟!』主君を売る裏切り者…悪役ぶり全開の朝倉景鏡(池内万作)に待つ哀れな最期

今回はそんな一人である織田景綱(おた かげつな。朝倉景綱)を紹介。なぜ朝倉一門なのに、織田を名乗っていたのでしょうか。

義景の遠い親戚?謎多き人物

朝倉義景(画像:Wikipedia)

織田景綱は生年不詳、代々越前国丹生郡織田荘(にゅうぐんおたのしょう。福井県越前町)を治める織田城主の家系でした。それで織田の苗字を名乗っていたようです。

ちなみに、この織田荘は織田(おだ)家発祥の地であり、信長の祖先は当地に鎮座する劔神社(つるぎじんじゃ。

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