幕末の倒幕運動は“偽金”で動いていた!諸藩が手を染めた犯罪級の資金調達の実像
「奪税」の発想
幕末期の日本では、幕府も諸藩も深刻な財政難にあえいでいました。
そこで、幕府は開国による軍艦購入などで支出が急増し、万延二分金の改鋳でなんとか収益を得ようとします。
江戸幕府は、長年にわたり金貨・銀貨・銅銭・鉄銭の鋳造を独占し、額面価値と金属価値の差を利益として吸い上げる貨幣鋳造益を大きな財源としていました。
よって、この方式を強化することで財政難を乗り切ろうとするのは自然な発想だったと言えるでしょう。
しかし、この利益を幕府だけが独占する状況は、諸藩にとって見過ごせないものでした。
諸藩は幕府から直接課税されない立場とはいえ、参勤交代や天下普請などの負担が重く、財政は幕府以上に厳しい状態だったのです。
さらにペリー来航以降、幕府の国防力への不信が高まり、いよいよ討幕の空気が広がっていきます。
しかし倒幕するにもカネが必要です。そこで諸藩の中で芽生えたのが、幕府の改鋳利益を“横取り”するという発想でした。
こうして生まれたのが、後に倒幕運動を支える資金源となった偽造二分金の製造です。
偽造の現場
幕府が改鋳で莫大な利益を得ているのなら、自分たちも同じ方法で資金を得よう……そう考えた諸藩は、万延二分金の偽造を行うようになりました。
万延二分金は、万延元年に鋳造が開始された通貨のこと。これに対して偽造二分金とは、要するに金の含有量を減らした質の悪いカネのことです。
これは幕府の財源を奪うという意味で、脱税ならぬ奪税と呼べる行為でした。
この奪税には薩摩・土佐・安芸・会津・仙台・加賀など、討幕派・佐幕派を問わず財政力のある多くの藩が関与していたとされています。
特に薩摩藩はわざわざ江戸から技術者を呼び寄せ、早い段階から大規模な偽造を進めていました。これだけでも本気度が分かりますね。
ちなみに長州藩は万延二分金ではなく、天保通宝の偽造を大規模に行っていたと見られています。
江戸末期~明治時代前半にかけて流通した天保通宝(Wikipediaより)
さらに、かの坂本龍馬も偽金製造に強い関心を持ち、土佐藩に偽造を献策した記録が残っています。
龍馬は土佐藩士の岡内俊太郎に「薩摩から偽二分金を持ち帰る」極秘任務を命じていますし、土佐藩は龍馬の死後に秘密工場を設けて偽造を本格化させました。
もはや犯罪組織です。倒幕運動の裏側では、こうした影の資金調達が大きな役割を果たしていたのです。
偽金の経済とはいえ、偽造二分金が広く流通した背景には、現代の偽札とは違う事情がありました。
万延二分金は名目こそ金貨でしたが、実際には金より銀の含有量が多い金メッキ銀貨で、偽造するのも簡単だったのです。
当時は欧米から大量のメキシコ銀が流入しており、これを原料に偽造が行われました。
偽二分金は銀や金を一定量含むため、価値がゼロになることはなく、市場では割引価格で流通していました。
幕府製の二分金は銀一六七グラムで交換されましたが、筑前藩の偽造品は一五四グラム、薩摩藩は一三四グラム、安芸藩は一一九グラムと、藩ごとに品質が異なりました。
土佐藩の偽造品はさらに価値が低かったとされています。
当時の「偽二分金番付」では、 ①筑前 ②加賀 ③佐土原 ④宇和島 ⑤薩摩 ⑥安芸 ⑦郡山 ⑧土佐 ⑨三原 という順位がつけられていました。
このように品質に差はあっても、偽金は市場で受け入れられ、幕末の経済を動かす一因となりました。
そしてその裏で、偽造貨幣は倒幕運動の影の財源となり、明治維新の原動力の一つになっていったのです。
幕末の討幕運動の原動力と聞くと、「思想」「大名のバックアップ」くらいしか思いつきませんが、現実的に考えても政権転覆のためには「資金」が必要ですね。
その資金確保のために、諸藩はなんと犯罪組織さながらの贋金製造を行っており、それが歴史を大きく動かす結果になったのです。
参考資料:
大村大次郎『脱税の日本史』宝島社、2024年
画像:Wikipedia,PhotoAC
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