朝ドラ「風、薫る」看護の道を模索し、海を渡った女性…玉田多江(生田絵梨花)のモデル・桜川里以の生涯 (3/5ページ)
卒業後、里以は大関和や鈴木雅らと共に帝国大学医科大学大学第一医院(東京大学医学部附属病院)に勤務。内科の看病婦取締(看護婦長)という役職を拝命します。
大関は外科の看病婦取締、鈴木は里以と同じ内科でした。
卒業後すぐの彼女たちが最前線の医療の現場の責任者に抜擢されたことは、当時の期待の大きさを表しています。
しかし現場における里以たちの扱いは、想像していたものではありませんでした。
帝国大学病院といえど、里以たちの職務は医師の診療補助や外来の応援にとどまっていたと伝わります。
失望したのか、里以は同院を退いて他の病院で働く道を選びました。
とくにキリスト教系の聖慈病院や赤坂病院などで勤務して、医療・看護の場に関わったとされます。
さらには、恩師であるマリア・T・ツルーが構想し、のちに展開していく衛生園でも活動していました。
衛生園は東京の角筈(現在の新宿)に築かれた療養所、看護婦養成所、女性の自立を支援する場所という役割持った施設です。
里以は同園に住まいを与えられて母と弟と居住。しかし二人は相次いで世を去ってしまいます。
明治28(1895)年ごろからマリア・T・ツルーが病に倒れると、里以はその看護を担う一人となりました。
翌明治29(1896)年、恩師であるマリアは世を去ります。