朝ドラ「風、薫る」看護の道を模索し、海を渡った女性…玉田多江(生田絵梨花)のモデル・桜川里以の生涯 (2/5ページ)

Japaaan

これに伴い、里以も桜川姓を称したと思われます。

さらに桜川の一家は、そのまま上京。父・小晦は学識を買われて子爵の学問所で招かれたのち、築地女学校(のちの青山学院短期大学)の講師も務めました。

さらに牧師の植村正久と出会い、桜川一家はキリスト教に入信します。

里以は水戸藩の儒学者の娘でありながら、近代の女子教育とキリスト教という大きな出会いを経験していました。

この出会いが、里以を新たな道へと誘います。

明治20(1887)年、里以は桜井女学校附属看護婦養成所に入学。第1期生としてトレインドナース(正規の訓練を受けた看護婦)を目指して学び始めました。

第1期生は7、8人だったと伝わります。その中には大関和一ノ瀬りんのモデル)や鈴木雅大家直美のモデル)らもいました。

西洋式の看護教育が、ようやく日本に根を下ろし始めた時代です。

里以はその最前線の場に立ち、アメリカ人宣教師・マリア・T・ツルーらから先進的な看護の技術を学んでいきます。

第1期生の卒業生一同。後列右側が桜川里以と思われる。

看護婦長就任と挫折、そして新たな道へ

養成所での日々で、里以は知識と仲間を得ることができました。

明治21(1888)年10月、里以たちは養成所での課程を修了。専門教育を受けた看護婦として現場に出ることとなります。

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