縄文文化はなぜ“東高西低”だったのか?西日本を襲った「巨大噴火」と「森の植生」の違い (4/5ページ)
一方で、照葉樹林のカシやクスノキなどはとても堅く、金属器を持たない縄文人にとっては扱いづらかったようです。
このような植生の違いが、食料問題や生活のあり方に影響し、東日本では人口が増え華々しい縄文土器の開花へ繋がり、西日本では小さな集落で緩やかに人口が増えていったと考えられています。
東日本の縄文文化は飛躍的に発展しましたが、その反動もまた大きかったと言われます。 やがて気候が寒冷化し、森から充分な食料を得られなくなると、大きな集落を維持することが難しくなり、人々は分散して生活するようになり人口も減っていきました。
大きな変化が無かった西日本は、その後の大陸から入ってきた文化を着実に根付かせ、弥生文化の担い手となったと考えられています。