縄文文化はなぜ“東高西低”だったのか?西日本を襲った「巨大噴火」と「森の植生」の違い (3/5ページ)

Japaaan

鬼界カルデラ 出典:WIKIMEDIA COMMONS

このアカホヤ火山灰は、雨が降るとコンクリートのように固くなる性質があり、山や海の生態系を大きく変えてしまいました。その後、600〜900年もの間 は、噴火前の生態系に戻ることはなかったと言われています。こうして縄文時代草創期から繁栄していた九州南部の縄文文化は一度全滅し、その後長い時間を経て、別の地域から縄文人が移り住んだと考えられています。

繁栄の鍵は「森の植生」にあり?

では、そのほかの西日本と東日本との繁栄の差はどこから生じたのでしょうか。その理由の一つとされているのが、西日本の照葉樹林と東日本の落葉広葉樹林という植生の違いにあると言われています。

照葉樹林は温暖で雨が多い地域に発達することから、日本列島では西日本の太平洋側、九州などの地域に広く分布しています。照葉樹林は枝葉が多く茂るため、森の中は常に薄暗く、湿った環境になりやすいという特徴があります。

縄文人は木の実を主食としてましたが、その木の実の生産量は東日本の落葉広葉樹林とはそう変わりがなかったとされています。ところが、冬に葉を落とす落葉広葉樹林では、林床植物と呼ばれるワラビやゼンマイ、ヤマイモ、キノコなどが育ちます。それに対して一年中鬱蒼としている照葉樹林では、そうした植物が育たないのです。

また縄文人が三内丸山遺跡で、直径1m以上のクリの木を建物の柱にしていたように、落葉樹林に多いクリの木は、割りやすく加工が容易で、湿度に強く腐りにくいという特性があります。当時は建物だけでなく、水場を造ったり、器などの生活用具、また薪としても利用していました。

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