朝ドラ「風、薫る」りんが出会った“厄介な患者”の正体…園部弥一郎(野添義弘)のモデル・長田銈太郎の生涯 (3/7ページ)

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園部弥一郎。モデルとなったのは明治に実在した長田銈太郎である。

名門武家一族に生まれ、近代への橋渡しを行う

嘉永2(1849)年7月27日、長田銈太郎は、駿河国で幕府直参旗本・長田歓十郎正美の長男として生を受けました。

長田氏は、桓武平氏の流れを汲む武家です。

古くは源義朝平清盛に仕えた長田忠致を輩出し、江戸時代にはその一族の末裔が徳川家康に仕えていました。

銈太郎の生まれた家は、その長田氏の宗家という位置付けです。一族からは旗本の永井氏(永井尚志など)を輩出する名族でした。

銈太郎は幼い頃から文武に奨励する少年だったようです。

安政2(1855)年、7歳となった銈太郎は江戸に出府。幕府の講武所で剣術を習い始めます。

文久元(1861)年には幕府の蕃書調所開成所、のちの東京大学の源流)でフランス語を習い始めました。

文久3(1863)年には開成所のフランス語助教を拝命。のちに教授にまで上り詰めました。

当時の日本において、銈太郎が語学においては随一のレベルにあったことは間違いありません。

慶応元(1865)年には、フランス全権公使レオン・ロッシュの通訳に就任。

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