朝ドラ「風、薫る」りんが出会った“厄介な患者”の正体…園部弥一郎(野添義弘)のモデル・長田銈太郎の生涯 (4/7ページ)
関西地方視察旅行にも随行して、伊藤博文や山縣有朋らと面識を得ました。
翌慶応2(1866)年、銈太郎は横浜仏語伝習所(陸軍士官学校の前身)に入学。近代戦の士官候補生として学びました。
慶応3(1867)年には、幕府内で大番(将軍の親衛隊)格・歩兵指図役頭取に就任。陸軍士官として将来を期待されていました。
しかし同年10月、将軍・徳川慶喜が大政奉還を決断。260年以上続いた江戸幕府は終焉を迎えます。
旧幕府は翌慶応4(1868)年1月の鳥羽・伏見の戦いで薩長新政府にも敗北。江戸にも戦が迫り始めます。
このとき、銈太郎は開成所頭取に就任。同所を明治新政府に引き渡すべく行動しています。
開成所の後続組織・開成学校。のちに東京大学の源流となった。銈太郎の功績は計り知れない。
新時代明治において残した多分野での業績明治維新後、銈太郎は自身の力を未来を切り開いていくこととなります。
江戸城無血開城後、銈太郎は静岡に移住。駿府に移封された徳川家の駿河府中藩のもとで活動していました。
静岡学問所においてフランス語教授筆頭格に就任。