終戦直後の日本は脱税天国!?脅迫・火炎瓶投げ込みまで起きた税務署と納税者のギスギスした関係史 (1/3ページ)
申告制度の混乱
戦後の日本では、税金の仕組みが大きく変わりました。
戦前までの賦課課税制度では税務当局が税額を決めていたのですが、戦後、昭和二十年に導入された申告納税制度は自分の税金を自分で申告して納める方式です。
しかしこのような申告制になると、納税者が自分で金額を決められるようになり、少なめに申告する人が急増します。まあ、当然の話ですね。
この制度の運用が始まった初年度の申告額は、税務当局の予想の一割程度しかなかったと言われ、戦後の混乱も重なって日本は脱税天国の様相を呈していきました。
税務署は誤りがあれば更正できましたが、不正申告があまりに多いため更正が連発されます。
納税者も制度に慣れておらず、帳簿の整備も不十分。なかなか新しい申告制度はうまく機能せず、税務署と納税者の関係は急速に悪化していきます。
対立の時代ところで戦後の税務署には、税収ノルマを課す目標額制度が残っていました。
これは戦前に商店街単位で税額を決めていた慣習の名残で、税務署は戦後も目標達成のために強引な徴税を行うことになります。
どれくらい強引だったかというと、払う金のない家庭から畳をはがして持ち出すような事例もあったとされ、これでは納税者の不満も高まります。
一方、戦後の社会は人心が荒れており、納税者側の反発も過激化しました。
