『豊臣兄弟!』初登場した信長の息子たちに待つ過酷な運命…史実で見る織田信忠・信孝の早すぎた最期
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第19話『過去からの刺客』。
快進撃を進める織田信長(小栗旬)。もう、誰にも止められません。いよいよ「天下布武」の象徴として、前代未聞の巨大な城郭・安土城の築城へと着手します。
前回から新章に進んだ、このドラマ。今まで、信長の身内として存在感があったのは、妹のお市(宮﨑あおい)、昔は仲良しだったのに殺してしまった弟の信勝(中沢元紀)でした。
このドラマでは、「信長の孤独感」を際立たせて“本音を話せるのは妹のお市だけ”という演出にしたそうなので、帰蝶も側室もその姿は見せません。そんななか、いよいよ信長と「血がつながった家族」となる息子たちが登場しました。
史実では、信長の正室は濃姫(帰蝶)、側室も複数人名前が挙がり、子供もたくさんいたのですが、特に重要な存在として名前が挙げられるのは、長男の信忠・次男の信雄・三男の信孝の三人。
今回は、父から家督を譲られ美濃・尾張をおさめることになる嫡男・織田信忠と、家督を継いだ兄・信忠とともに信長の天下一統の力となる三男・織田信孝に注目してみました。
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若くして命を落とす運命・織田のプリンスたち
第19話の放送に先駆けて「豊臣兄弟!」の公式「X」でビジュアルがリリースになった、信長の嫡男・信忠と三男・信孝。信忠は小関裕太さん、信孝は結木滉星(こうせい)さんが演じます。
先週第18話『羽柴兄弟!』では、のちに豊臣の「最強家臣軍団」となる若武者が次々と初登場し新しい風が吹き込まれ、いかにも「新章に入った」という感じでした。
信長ファミリーにも、シュッとした爽やかで知的なイメージの信忠、キリッとした眼差しの強い信孝が加わり、時の流れを感じます。(信勝の長男・織田信澄のビジュアルもリリースされました)
▪️長男・織田信忠(小関裕太)信忠を演じる小関さんは、NHKの子供番組に出演していたものの大河は初登場。
「今回『豊臣兄弟!』では題名の通り「兄弟」が描かれており、私の演じる織田信忠についても兄弟が描かれていきます。
父の織田信長が兄弟との争いを経て家督を継いだ事実の中、息子である信忠は兄弟とどう接してきたのか。家督を継いでからの兄弟関係はどうなっていくのか。ぜひご注目いただきたいです。」
とのこと。ずっと根底に『兄弟』というテーマが流れるこのドラマの中で、これから信忠は「兄」として「弟」たちと、どのようなやりとりをしていくのでしょうか。
信長の嫡男・織田信忠(小関裕太)NHK『豊臣兄弟!』公式「X」より
▪️三男・織田信孝(結木滉星)信考を演じる結木滉星さんも、大河ドラマは初出演。
「織田信孝という人間をどれだけ深みのある人物に出来るかというのは自分次第になると思っているので、しっかりと追求していきたいです。
そして、先輩方とのお芝居の中でたくさん吸収していけるように、全力で織田信孝として生きていきたいと思っています。」
とのこと。
今までを振りかってみると、豊臣兄弟はしじゅうふざけ合って漫才をやってるけれども、肝心な部分は心が通じている様子。圧倒的な信頼と、二人にしか分からないお互いの本音など、熱い部分を共有しています。
大切な兄の命を犠牲にした信長に怒り、「大っ嫌いじゃ!」と家臣たちの面前で物申した小一郎(仲野太賀)。直(白石聖)が殺された悲しみで立ち直れないのに気丈に振る舞う小一郎を見て「気丈に頑張っている、たいしたもんじゃ」という蜂須賀正勝(高橋努)に対し、「わしには泣いているようにしかみえぬ」と声を振るわせる藤吉郎(池松壮亮)……兄と弟の兄弟愛の場面の中でも、心にぐっとくるシーンでした。
こんな関係を築いている豊臣兄弟に対し、小関裕太さんの信忠、結木滉星さんの信孝など、織田兄弟はどのような関係性を見せるのか。兄弟同士の絡みはもちろん、魔王・信長とのやりとりも楽しみです。
浅井長政(中島歩)に見せた「おぬし大好き!」な顔・自分のため体を張った秀吉の言葉に涙した顔、お市に手厳しくつっこまれたばつの悪そうな顔……などなど、「豊臣兄弟!」では、信長が実に人間味のあるキャラクターに描かれています。
そんな小栗信長が、息子たちにはどのような顔を見せるのかも見どころですね。
信長の三男・織田信忠(小関裕太)NHK『豊臣兄弟!』公式「X」より
嫡男として期待された織田信忠信忠は信長の嫡男であり、将来の後継者として大きな期待を寄せられていた人物です。
弘治3年(1557)に尾張国清州城で生まれました。『寛政重修諸家譜』では生駒吉乃が実母とされてきましたが、近年ではほかの説も登場しています。
▪️幼名『奇妙丸』のなぞ信忠といえば、幼少期の『奇妙丸』という風変わりな名前を付けられたエピソードも知られています。「生まれたときに奇妙な顔をしていたので信長がそう名付けた」という説が一般的です。
けれども、当時「奇妙」という言葉には「ほかよりも優れている」という意味があるという説、当時の風習で「魔除け」のために変な名前を付けたという説もあります。確かに、昔の信忠の肖像画を見ても、シュッとした面差しで「奇妙な顔説」はちょっと疑問に感じてしまいます。
いずれにしても、信忠は「家督継承者」として非常に大切にされて育ち、信長にしたがって各地を転戦、天正3年(1575)に家督を譲られました。
▪️美濃・尾張の2ヵ国を支配信長が安土城に移ってからは信忠は岐阜城主となり、美濃・尾張の2ヵ国を支配。以後の信忠は、総大将として出陣する機会は増えていきました。
天正10年(1582)3月、信忠は甲斐武田氏の征伐に成功しますが、その栄光は長くは続きませんでした。
同年6月、信忠は信長と共に備中高松城を包囲する羽柴秀吉の援軍に向かうべく、京都の妙覚寺に滞在。この時に『本能寺の変』が発生しました。信忠は、すぐに救援に向かうも、信長自害の知らせを受け明智光秀を討つべく二条新御所に移動します。
懸命に応戦するも敵兵の数の多さに勝ち目なしと断念し、自害しました。まだ25〜26歳という若さでした。
▪️後継者に相応しい能力と資質二条新御所での戦いの時、下方弥三郎という若者が瀕死の重傷を負ったとき、信忠がその姿を見て「勇鋭と言うべし。今生で恩賞を与える事はかなわぬが、願わくば来世において授けようぞ」と言い渡し、感激した弥三郎は笑いながら敵中に突っ込んでいき討死したという逸話があります。
以前は、徳川家康の長男・松平信康と比較され「暗愚で平凡な将」のイメージがありましたが、近年では事績が見直され「後継者に相応しい能力と資質の持ち主」という説が主流になっているそうです。
政争に敗れた織田信孝――兄の命で切腹した悲劇
信孝は、信長の三男で永禄元年(1558)生まれ。次男・信雄より出生は20日ほど早かったものの母・坂氏が側室だったため、信孝が三男とされたという説があります。
永禄11年(1568)、信長が北伊勢を攻撃して神戸城の神戸具盛を降伏した時、具盛に子がいなかったため、信孝は具盛の養子になり神戸信孝と名乗ることに。この後、神戸家を相続し神戸領は織田領とになりました。
信孝は、天正2年(1574)の伊勢長島一向一揆との戦い、翌年の越前一向一揆との戦い、雑賀攻めなど、信長の主要な戦いに出陣しています。
▪️秀吉に対して反感を募らせる天正10年(1582)本能寺の変の時には、信孝は四国攻めのため重臣の丹羽長秀とともに大坂にいました。「四国平定後に讃岐国を与える」と信長は約束していたのですが、本能寺の変で信長が死んだことで潰えてしまいます
戦後の清須会議で、信孝は織田家の後継者に指名されず、主導権を握った秀吉への反感を募らせていきます。同様に秀吉に反感を持つ柴田勝家や滝川一益と手を組むようになり勝家との絆を深めるため、お市の再嫁を斡旋した……という説も。
清州会議で「三法師」(織田 秀信の幼名。織田信忠の息子)は安土城に移ることが決定したものの、信孝は三法師を岐阜城から離しませんでした。これを謀反の口実として、12月2日、秀吉と信雄は三法師奪還を名目に挙兵。丹羽長秀、池田恒興ら諸将の多くも秀吉を支持して加勢しました。
その後、信孝は岐阜城に立てこり秀吉に抵抗するも、城を包囲されて降伏します。三法師を取り上げられ、一時的に秀吉に従った信孝。けれども、天正11年(1583)に秀吉と勝家による賤ヶ岳の戦いが起きると挙兵しました。
しかしながら、勝家は秀吉に敗れ越前北庄で自害します。信孝は戦意を喪失し、兄・信雄の説得で岐阜城を開城することになったのです。
その後信孝は知多半島に移り、天正11年(1583)安養院(愛知県美浜町)で切腹。26歳のことでした。
▪️壮絶な切腹の逸話が信孝は切腹後に腸をつかみ出し、床の間にかかっていた墨梅の掛け軸に投げつけたという逸話があり、血痕は今でも掛け軸に残っているそうです。
辞世の句は、「むかしより 主をうつみの うらなれば むくいをまてや 羽柴筑前」。
(昔より内海の野間は主君を討つ故事が残る場所、羽柴秀吉お前にも報いがあるからな)
平安時代末、同じ場所で源義朝が家来・長田忠致に暗殺され、頼朝が父の敵を討った故事を引用したものです。
家臣である秀吉が自分を討とうとしている、お前には必ず報いがあるから覚えていろ……渾身の怒りが込められた句ですね。
『太平記英勇傳:丹部侍従平春高』織田信孝 歌川国芳 wiki
過酷な運命を背負った織田兄弟天下人といわれた織田信長の息子は三者三様。ですが、いずれも戦国という時代の過酷さを如実に物語っているような人生でした。
手に握った天下も代々それが続くとは限らない……そんな哀しみも感じながら、新章での魔王の息子たちの活躍を見守りたいと思います。
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参考:
『国史大辞典』(吉川弘文館)
谷口克広『尾張織田一族』(新人物往来社)
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