朝ドラ「風、薫る」尊王攘夷の志士が国際結婚…千佳子の夫・和泉元彦のモデルとされる三宮義胤の生涯 (2/5ページ)
嘉永6(1853)年、浦賀沖にペリー率いる黒船艦隊が来航。日本は攘夷の機運が高まっていきました。
若い頃の義胤は三上兵部と称して、尊皇攘夷運動に傾倒。攘夷派の頼三樹三郎や梅田雲浜といった志士と交流し、朝廷を中心とする新しい政治秩序を求める動きに身を置きます。
慶応3(1867)年10月には大政奉還が起こり、江戸幕府が終焉を迎えました。12月には王政復古の大号令が発布され、新時代の足音が聞こえ始めてきます。
同年、義胤は公家の鷲尾隆聚とともに高野山で挙兵。翌慶応4(1868)年からからの戊辰戦争では、仁和寺宮の小軍監として北越、奥羽方面に転戦しました。
ここで義胤は、実際に戦場を経験した行動派の志士として歩みを進めています。
明治2(1869)年、義胤は明治政府に出仕。賞典禄50石が下賜され、兵部権少丞として軍事行政に関わります。
外国への赴任で、生涯の伴侶となる三宮八重野と出会う
かつて攘夷派であった義胤ですが、外国での活動はその後の人生を決定づけました。
明治3(1870)年10月、義胤は東伏見宮嘉彰親王の英国留学に随行。近代国家の一員として、早くから海外経験を積んでいます。