『豊臣兄弟!』松永久秀(竹中直人)は本当に悪人だったのか?家臣たちに慕われた戦国武将の意外な素顔 (5/12ページ)

Japaaan

『信長公記』によると勝正らは「本丸が落ちても天主に立て籠もり、鉄砲・弓矢を討ち尽くすと切って出て、約150人が討死した」と記されるほどの激戦となりました。

片岡城本丸跡(Wikipedia)

片岡城を落とすと織田軍は大和川を越え、10月3日には信貴山周辺を焼き払います。この時、「信貴山ヒサ門堂燃え云々」と『多聞日記』にあるように、朝護孫子寺の毘沙門堂が焼け落ちました。そして10月9日には、信貴山城下の武家屋敷に火が放たれ、残るは本丸とその近くの曲輪だけとなったのです。

10月10日、早朝から織田軍は本丸に総攻撃を開始。これに対し松永軍は壮絶極まる抵抗をみせ、弓・鉄砲を乱射、あるいは城門から打って出て、織田軍を後退させます。

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