『豊臣兄弟!』竹田城攻略はどこまで史実?なぜ秀吉は女子供を処刑?命の期限が迫る半兵衛…第21回放送を考察 (5/9ページ)

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福原城(佐用城)はどのように攻略された?

半兵衛の「穴がない穴」を論破し、ドヤ顔の官兵衛。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

劇中で上月城の前哨戦程度に言及された福原城(兵庫県佐用町)。こちらは佐用城(さようじょう)とも呼ばれ、建武年間(1334~1338年)に築城されました。

城主の福原則尚(ふくはら のりひさ)は天正5年(1577年)11月に秀吉・官兵衛・半兵衛らの猛攻を受けた末に自刃して果てます。

『黒田家譜』では城主が福原助就(すけなり)となっており、官兵衛が提言した囲師必闕(いしひっけつ)の策に陥って敗走し、平塚為広(ひらつか ためひろ)に討たれました。

囲師必闕とは劇中で言及された通り「大軍で包囲する時は、必ず一ヶ所の隙を作れば、敵はそこから逃げようとする」というものです。

劇中では、半兵衛があえて「穴がないという穴のある策(要するに完全包囲策)」を提言することで、官兵衛の器量を試していました。

かくして二兵衛(半兵衛と官兵衛が秀吉を補佐する)時代が幕を開けるのですが、残念ながらあまり長くは続かなかったのです。

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