『豊臣兄弟!』信長を裏切る荒木村重(トータス松本)…逃亡の果てに待っていた700人処刑の悲劇 (3/8ページ)
信長と室町幕府15代将軍「足利義昭」の対立中も信長方として活躍した。摂津国内の有力な国人を滅ぼした結果、摂津一国を任されるに至る。
村重は伊丹氏から奪った伊丹城を「有岡城」と改称。摂津に有岡城を中心とした新たな支配体制の基盤を築き上げ、信長から摂津守護に任じられる。
「太平記英雄伝 廿七 荒儀摂津守村重」Wikipediaより
突然の裏切り
1578年。播磨国(現在の兵庫県)征伐に加わっていた村重は、突如として信長に反旗を翻し戦線を離脱してしまう。
村重を評価していた信長は謀反の事実に驚き、事態の真相を究明するために明智光秀など数名の使者を送っている。しかし、村重は反信長を主張する家臣からの説得もあり、反旗の意思を崩さなかった。
信長はその後も使者を遣わせ、村重に翻意を迫るが交渉は決裂。播磨国侵攻を任されていた羽柴秀吉の家臣で、村重と関係性の深かった黒田官兵衛は単身で説得に向かうが、村重は官兵衛を監禁し居城である有岡城に籠城した。
有岡城の戦い再三の翻意要請にも応じない村重に、業を煮やした信長は村重討伐に挙兵。村重傘下の周辺大名に切り崩し工作を仕掛けながら有岡城を目指した。
織田方に寝返る勢力が続出した結果、有岡城は孤立する。12月に入ると本格的な攻城戦となったが、守りに長けた有岡城は健闘し織田軍は多くの兵を失ってしまう。
この事態を受けた信長は作戦を兵糧攻めに変更。