『豊臣兄弟!』信長を裏切る荒木村重(トータス松本)…逃亡の果てに待っていた700人処刑の悲劇 (4/8ページ)
持久戦に持ち込み、自らは安土城に帰城した。「堅城」といわれた有岡城はよく持ち堪えるが、1579年の9月に村重のとった行動によって事態は大きく急変することになる。
織田信長(Wikipediaより)
開城
1579年9月。有岡城で籠城中の村重は、わずかな側近と共に城を脱出。長男の村次が守る尼崎城へ移ってしまう。村重の逃亡は数日のうちに間者(スパイ)によって織田方に知れ渡り、織田軍は本格的な調略作戦を開始した。
10月。織田軍は有岡城を総攻撃。残された家臣たちは村重に変わって城守をしていた「池田知正」を中心に奮戦するも、織田方に寝返った兵の影響もあり11月に開城となった。
信長は講和を持ちかけ「居城する尼崎城と西方の花隈城の明け渡すならば、家族や家臣の命は助ける」という条件を村重に提示し、返答を待った。
信長との交渉の末に逃亡した荒木村重の家臣「池田知正」Wikipediaより
村重と知正の逃亡
尼崎城に籠る村重は信長の提案を拒否。尼崎城から脱出し花隈城へ籠城する。