『豊臣兄弟!』ズタズタに引き裂かれたプライド…秀吉(池松壮亮)が犯した失敗と「播磨大誤算」の原因 (8/9ページ)
播磨国三木城諸国古城之図/浅野文庫所蔵(Wikipedia)
こうして1578年(天正6年)2月、長治は三木城に立て籠もる。それに呼応するように同じく「城割」に反発する播磨の国衆や豪族たちが反織田に立ち上がった。
そしてこの混乱は丹波にも飛び火し、八木城の波多野氏が反乱、さらに三木城攻めに参加していた荒木村重も離脱し、拠点の有岡城に籠城するという事態を引き起こした。
播磨の「城割」に端を発する「播磨大誤算」は、三木城が落城する1580年(天正8)年まで足掛け3年続き、信長の中国戦線を大きく停滞させ、天下統一事業にも急ブレーキをかけることになったのである。