『豊臣兄弟!』さらば半兵衛…なんと江戸時代 中期まで続いた竹中半兵衛(菅田将暉)の子孫たちを一挙紹介 (3/7ページ)

Japaaan

半兵衛の子(2世代目)・竹中重門

落合芳幾「太平記英勇傳 竹中半兵衛重治」

天正元年(1573)生~寛永8年(1631年)閏10月9日没/59歳

通称は吉助(よしすけ)、官位は従者五位下・丹後守。生母は安東範俊女(のりとし娘)です。

羽柴秀吉に仕え、秀吉死後の関ヶ原合戦では徳川家康(松下洸平)率いる東軍に与しました。小西行長(こにし ゆきなが)を生捕りにした武功をもって恩賞に与かります。

その後も徳川家(家康・秀忠)に仕えて大坂の陣(冬・夏とも)に従軍し、6千石を領する大身となりました。

死後の法名は出堂(しゅつどう)、芝泉岳寺(東京都港区)に葬られます。

半兵衛の孫(3世代目)・竹中重常

慶長3年(1598年)生~寛文4年(1664年)7月4日没/67歳

通称は竹之助(たけのすけ)、官位は従五位下・越中守。生母は加藤光泰女。慶長19年(1614年)に家康へ出仕し、大坂冬・夏の陣で初陣を飾ります。

寛永11年(1634年)に第3代将軍・徳川家光の側近となり、その後は甲府城(山梨県甲府市)の守備や久能山東照宮(静岡市駿河区)の改修などに尽力しました。

また内裏造営の功績によって朝廷から備前長光(びぜんながみつ)の太刀を賜わっています。

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