鎌倉時代は本当に“武士の時代”だったのか? 財政から見えた武家政権の悲しい現実とは (2/5ページ)

Japaaan

全国から税を集める独自の仕組みすら持たず、権限は武士の監督や仲裁に限定されていたというのが実態です。

つまり幕府は、朝廷という巨大な公的機関の一部が肥大化した存在にすぎませんでした。国家財政を握る中央政府とは程遠い権力構造だったわけです。こうした成立過程の脆さが、その後の幕府の運命を左右することになります。

全国統治には至らず

鎌倉幕府が自由にできる財源は、朝廷とは比べものにならないほど小規模でした。

幕府が直接管理した土地は、大きく分けて二種類しか存在しません。一つは関東御分国と呼ばれる、幕府が実質的に管理した地域です。

しかし、これは建前上は朝廷の土地を預かっているという不安定な形でした。しかも対象は東国の数か国にすぎず、全国支配には程遠い範囲だったのです。

もう一つの財源は関東御領と呼ばれる、幕府の私有地にあたる荘園でした。頼朝は平氏の旧領などを手に入れましたが、日本全体で見ればごく一部の面積にすぎません。

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