『豊臣兄弟!』本能寺前夜の死亡フラグ…信澄の黒幕説は本当か?史実を交え第26回の伏線など考察 (6/8ページ)

Japaaan

織田信澄は本当に謀叛を企んだ?

信澄にかけられた嫌疑。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

光秀に「信長を討て」と偽の書状を送ったという信澄。足利義昭(尾上右近)の花押も偽造したのでしょうか。

かつて信長に謀叛を起こして粛清された織田信勝(中沢元紀)の遺児として、大切に育てられてきた織田信澄。はじめ柴田勝家(山口馬木也)の養子となった後、浅井旧臣の磯野員昌(いその かずまさ)に養子入りします。

そして天正3年(1575年)の越前一向一揆や天正4年(1576年)の黒井城攻め、天正6年(1578年)の本願寺攻めなど歴戦しました。

天正9年(1581年)1月の京都御馬揃えでは連枝衆(織田一族)の5番目に名前が挙がっていて、叔父の織田信包(のぶかね)や従兄の信孝と同格に扱われています。

同年4月には和泉国で信長に逆らった槇尾寺(まきおでら。大坂府和泉市)の僧侶800名を皆殺しとした後、焼き払いました。これが劇中に襲撃を受けた場面のモデルだったのかもしれません。

続く同年9月には織田信雄(山脇辰哉)の指揮下で伊賀攻め(天正伊賀の乱)に従軍し、武功を立てました。

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