『豊臣兄弟!』に登場し一瞬で切腹!部下の命と引き換えに散った名将・清水宗治の“辞世の句”とその最期 (2/4ページ)
かくして毛利家臣となった宗治は忠義を尽くし、また武勇を奮って中国地方の平定に活躍したため、毛利氏からの深い信頼を得ました。
天正10年(1582年)4月に羽柴秀吉(池松壮亮)が備中高松城を攻めると、宗治は徹底抗戦の構えを見せます。
秀吉ははじめ「降伏すれば備中(岡山県西部)と備後(広島県東部)の2ヶ国を与える」という条件を提示しますが、宗治はこれを受け入れません。
そして秀吉からの書状をそのまま毛利氏へ届けて「こんな条件で裏切ることはありません」と忠義を示したのでした。
交渉が決裂したため、秀吉は黒田官兵衛(倉悠貴)の献策により、備中高松城を水攻めにします。
財力にモノを言わせ、突貫工事で長大な堤防を築き上げ、そこへ水をためたのでした。まともに攻め落とそうとしたら甚大な被害が出るため、このような奇策を採ったのです。
果たして備中高松城は孤立し、落城も秒読みかと思われました。
すわ宗治を討たせてなるものかと毛利輝元(濱正悟)・吉川元春(こばやし元樹)・小早川隆景(山本浩司)ら毛利首脳陣が援軍を率いて駆けつけたものの、水に隔てられて救援がままなりません。
