『豊臣兄弟!』に登場し一瞬で切腹!部下の命と引き換えに散った名将・清水宗治の“辞世の句”とその最期 (4/4ページ)

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一、その代わりに城兵の命は助けてほしい。

交渉が難航する中、天正10年(1582年)6月2日に京都・本能寺で織田信長(小栗旬)が横死を遂げました。後世に伝わる「本能寺の変」です。

信長の悲報を逸早く知った秀吉は和睦条件を緩和し、3ヶ国の割譲と宗治らの切腹でよいと妥協しました。

かくして6月4日、宗治らは水上に舟を漕ぎ出し、切腹して果てます。享年46歳。

終わりに

歌川豊宣 「新撰太閤記 清水宗治切腹之図」より、切腹に臨み舞を一指し。

浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して

【歌意】今こそ浮世から極楽浄土へと渡っていこう。武士としての名誉を、ここ備中高松城の苔(コケ)に残せたのだから、一片の悔いもない。

こちらは宗治が切腹に臨んで詠んだ辞世です。大将として、自分の命と引き換えに部下の命を救うことは、名誉ある最期の務めでした。

その立派な最期を見届けるや否や、秀吉はただちに京都へ引き返す「中国大返し」にとりかかります。

劇中では実にあっさり描かれていましたが、このような名場面が描かれていました。

武士の鑑として敵味方から賞賛された宗治は、死後400年以上の歳月を経た大正13年(1924年)2月11日、宮内省より従四位(じゅしい)の位階を追贈されています。

名将・清水宗治の活躍を、またどこかの作品で観たいですね!

※参考文献:

小和田哲男『秀吉の天下統一戦争』吉川弘文館、2006年10月 谷口克広『戦争の日本史13 信長の天下布武への道』吉川弘文館、2006年12月

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