『豊臣兄弟!』で描かれた織田信長の道普請は史実?信長が実施した街道整備の施策を紹介 (4/5ページ)

Japaaan

息子たちの道路施策は?

落合芳幾「太平記拾遺 北畠内府信雄」

こうした信長の施策思想は息子たちにも受け継がれたようです。

長男の織田信忠は天正4年(1576年)の朱印状で道路を3種類に分類しました。

本街道:三間二尺(約5.7メートル) 脇街道:二間二尺(約4.0メートル) 在所道:一間(約1.7メートル)

また両脇に高さ三尺(約90センチ)の盛土をし、そこに松と柳を植えさせます。そしてもし植えた木が枯れてしまったら、地元の者が植え替えるよう命じました。

次男の織田信雄は天正18年(1590年)1月に、小田原征伐のため路幅五間(約8.6メートル)もの街道整備を命じます。

これは通常を大きく超える街道を整備することで、自身の威信をアピールしたかったのでしょう。

しかしこの無茶ぶりに対して地元から猛反発を受けたらしく、翌月には三間(約5.1メートル)でよいと訂正しています。

いらん見栄を張るんじゃない。そういうとこやぞ。

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