『豊臣兄弟!』で萩原護が演じる武将・小堀正次とは?秀長・秀吉・家康が重用、“出家を重ねた実務派”の生涯 (1/3ページ)
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、萩原護がキャスティングされたことで話題となっている小堀正次(こぼり まさつぐ)とは、一体どんな人物だったのでしょうか。
僧侶として生きながら、還俗して豊臣秀長(小一郎)に仕え、複雑な検地を担った実務派の家臣でした。後には秀吉、徳川家康にも重用された正次は、いかにして乱世を生き抜いたのか。その生涯をたどります。
浅井家臣から豊臣兄弟に仕える舅の磯野員昌。落合芳幾「太平記英勇傳 礒野丹波守定正(磯野員昌)」
小堀正次は天文9年(1540年)、近江国坂田郡小堀村(滋賀県長浜市)で小堀正治(まさはる)の次男として誕生しました。
小堀家は藤原氏の流れをくみ、正次の6代祖先の藤原光道が小堀村へ移住して地名を苗字に称したそうです。
はじめは出家していましたが、故あって(長兄が没したか)還俗し、磯野員昌(いその かずまさ)の娘と結婚します。字は新助(しんすけ)、官途を勘解由左衛門(かげゆざゑもん)と称したそうです。
元亀2年(1571年)に員昌が織田家に降伏すると、浅井長政(中島歩)への義理立てか再び出家。天正元年(1573年)に浅井氏が滅亡すると再び還俗して、小一郎(仲野太賀)に仕えました。出家→還俗→出家→還俗と忙しいですね。
仕官当初は知行一千石でしたが、羽柴兄弟から政治手腕を評価されて、後に小一郎が治めることになった紀伊国(和歌山県)や大和国(奈良県)の検地代官に抜擢されています。
紀伊や大和は寺社勢力が多く、権利関係が複雑であったため、検地は困難を極めたそうです。