世界遺産決定で脚光!日本初の巨大都城・藤原京を創り上げた知られざる女帝・持統天皇の凄絶な執念 (2/5ページ)

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壬申の乱から即位へ――鸕野讃良皇女が継承した天武天皇の国家構想

持統天皇は大化元(645)年ごろ、天智天皇の第二皇女として生まれました。

即位前の名は鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)です。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘・遠智娘で、大海人皇子(後の天武天皇)の妃となり、草壁皇子をもうけました。

天智天皇10(671)年、大海人皇子が近江大津宮を離れて吉野へ退くと、鸕野讃良皇女も同行しました。

翌天武元(672)年の壬申の乱では、大海人皇子は大友皇子側を破り、天武2(673)年、飛鳥浄御原宮で即位しました。このとき、鸕野讃良皇女は皇后となり、新政権を支える立場に立ちます。

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