世界遺産決定で脚光!日本初の巨大都城・藤原京を創り上げた知られざる女帝・持統天皇の凄絶な執念 (5/5ページ)

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大宝元(701)年に律令が完成すると、全国の官職、行政区画、租税、刑罰などを体系化した国家制度が藤原京を中心に運用されていきます。

大宝2(702)年12月22日、持統上皇は崩御しました。宝算58。日本の国家整備に人生を捧げ、今日まで続く仕組みの根幹を築き上げた生涯でした。

その後、藤原京は和銅3(710)年の平城京遷都まで、持統・文武・元明の三代にわたって政治の中心となり、都市機能や仕組みは平城京や平安京へ受け継がれました。

藤原京は、持統天皇一人が思い描いて造った都ではありません。

天武天皇が始めた法制と都城の整備を受け継ぎ、官人に土地を与え、道路と官庁を整え、戸籍に把握された人々と全国の地域社会を結びつけた巨大な行政装置でした。

その地中に残る道路、排水路、建物、木簡は、日本が恒久的な都を持つ律令国家へ変わっていく過程を、今も静かに伝えているのです。

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