『豊臣兄弟!』お市と柴田勝家、自刃しての最期と「辞世の句」…運命を共にした2人の悲劇 (4/5ページ)

Japaaan

『賤ヶ岳合戦記』原文

お市と勝家。短い夫婦生活であったが、絆は確かに育まれた。

勝家切腹之事

廿三日(23日)午前に攻鼓(よせだいこ)なとを止(とめ)よはゝりて(呼ばわりて)曰(いわく)
昨日廿二日(22日)之夜山中にて御子息権六殿並(ならびに)玄番殿を生捕て参候(さんそうろう)あな痛はしき御事にて候と呼はりぬ
是より城中ひそまりて音もせす其後(そののち)に請取し門々を防き守る計(ばかり)にてしか〳〵(しかじか)鉄炮も打す(撃たず)夜に入とひとしく殿守(天守)之上にも下にも広間其外(そのほか)櫓々なとにも酒宴はしまり(始まり)けり
勝家盃に向つゝ一族他家の人々をよひ並へ被申(もうされ)けるはあの藤吉郎猿くわしや(冠者)か為にかく成果る(なりはつる)事無念之次第とうかう(どうこう)云(言う)に及れす(及ばれず)所詮酒呑て明日はうき世の隙をあけほのゝ雲と消なんとて文荷斎それ〳〵と有しかは(ありしかば)名酒の樽共あまた置ならへ種々の肴を出しつゝ酒宴こそ始めけれ
弥右衛門尉に申付何れ(いずれ)の櫓にも酒を呑候へ(のみそうらえ)と樽肴給りしかは(たまわりしかば)何方(いずかた)も酒宴の声々聞へけり小谷の御かたへ勝家さし給へは一二酌て(くんで)又返し侍りけるに匠作(しょうさく。

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