【豊臣兄弟!】討ち死にした与一郎には「8歳の妻」がいた!劇中では描かれなかった裏の史実と波乱の生涯 (2/5ページ)

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NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

お岩は天正3年(1575年)、名古屋高久(なごや たかひさ。那古野勝泰か)と養雲院(よううんいん。木下雅楽助姉妹)の間に生まれました。

彼らはかつて羽柴秀吉(池松壮亮)と寧々(浜辺美波)の縁談を後押ししたことがあり、その縁から娘と与一郎の縁談も進めたのでしょう。

お岩が与一郎と結婚した時期は不明ですが、与一郎が天正10年(1582年)以前に亡くなっていることから、お岩はまだ七五三くらいで結婚したものと考えられます。

政略結婚で始まったおままごとのような夫婦生活は長く続かず、与一郎が亡くなると、お岩はそのまま羽柴長秀(小一郎)の養女となりました。

ちなみに小一郎は天正10年(1582年)に丹羽長秀(池田鉄洋)の三男・仙丸(後の藤堂高吉)を養子にもらい、後継者に据えています。

再婚して5人の子を授かる

森忠政と再婚したお岩(イメージ)

お岩が再婚したのは文禄3年(1594年)の春、当時彼女は20歳となっていました。

新しい夫は森忠政(もり ただまさ)、彼もまた妻を喪っており、再婚だったと言います。かつて伴侶を喪った悲しみを抱える同士、仲睦まじかったのでしょうか。

二人の間には二男三女が生まれました。

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