【豊臣兄弟!】討ち死にした与一郎には「8歳の妻」がいた!劇中では描かれなかった裏の史実と波乱の生涯 (4/5ページ)

Japaaan

死後も領民たちに慕われる

津山城跡にある森忠政の銅像。気難しさが伝わる面構えである(イメージ)

子供たちに慈愛を注ぎ、夫にも慈悲を求めたお岩は、慶長12年(1607年)5月3日に33歳という若さで世を去ってしまいました。

法名は智勝院殿月桂宗清大禅定尼(ちしょういんでん げっけいそうしん だいぜんじょうに)。龍雲寺(現在は本源寺。岡山県津山市)に葬られ、その初盆には盛大な万灯会が催されたそうです。よほど人々から敬愛されていたのでしょうね。

その習慣は、忠政の50回忌を迎える天和3年(1683年)まで、76年間にわたって毎年続けられたのでした。

終わりに

今回は羽柴与一郎の妻となったお岩(智勝院)について、その生涯をたどってきました。

物語の都合上、割愛されてしまいましたが、魅力的な人物だったようです。どこかの作品で登場しないか、楽しみにしています。

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