【豊臣兄弟!】討ち死にした与一郎には「8歳の妻」がいた!劇中では描かれなかった裏の史実と波乱の生涯 (3/5ページ)
長女・お宮:慶長3年(1598年)生まれ 次女・お菊:慶長5年(1600年)生まれ 長男・虎松:慶長7年(1602年)生まれ 次男・忠広:慶長9年(1604年)生まれ 三女・お兼:慶長11年(1606年)生まれ
こうして見ると、お岩が24歳から32歳にかけて、2年おきに生んでいることがわかります。計画でも立てていたのかと思うくらい規則的ですね。
きらず粥(がゆ)の習慣
夫婦円満、多くの子供に恵まれて、お岩は幸せだったのでしょうか。どんな家庭でも悩みはあるように、彼女にもまた悩みがありました。
夫の忠政は何かにつけて人を斬るor斬らせることが多く、お岩はそんな夫の姿に心を痛めていたようです。
そこでお岩は年末大晦日になると、雪花菜(おから)で「きらず粥」を作り、家族みんなで食べました。
きらずとは雪花菜の別名で、雪花菜は大豆の搾り滓ですから、包丁を使わずに調理できます。
何も切らずに出来上がる「きらず粥」に、誰も斬らずに1年を終えられるよう願いを込めたのでした。
これを知った忠政は、少しは人斬りを控えようと思ったのでしょうか。