『国宝』公開から1年…今こそ考えてみる「歌舞伎座」の価値とは?雰囲気を纏った歌舞伎の殿堂 (2/5ページ)
第一期歌舞伎座、今の歌舞伎座と異なり、西洋風建築で誕生した。
壮麗な佇まいの歌舞伎座。その壮麗さが、幾多の困難を経て生まれたものだということを知ると、その姿により深みが増していきます。
開場は明治22(1889)年、実業家・福地源一郎をはじめとする様々な人々の尽力によって、現在の地である銀座・木挽町に建てられました。
上の画像にもあるように、意外に思われるかもしれませんが、第一期の歌舞伎座は、西洋建築をベースに建てられました。明治22年の日本は、まだ近代化がはじまった頃です。西洋の文化が次々と日本に入ってきた時代の中で、「西洋にも負けない劇場を」という意識があったのかもしれません。
その後明治44(1911)年大改修を経て、外観も純日本式の宮殿風に変わった第二期歌舞伎座が誕生しました。約20年ほどで、「西洋に負けない劇場」から、「日本文化の価値を見せる劇場」へと意識が変化していきました。しかし大正10(1921)年、漏電による火災で焼失してしまいます。
復活にむけて動き出した歌舞伎座ですが、再建途中の大正12(1923)年9月1日には、関東大震災で被災し、当初の復活予定時期が遅れてしまいます。様々な災難を経て、三代目の歌舞伎座が大正13(1924)年に再開場し、現在の桃山様式風の雰囲気を持つ外観になりました。