『逃げ上手の若君』時行のライバルで共闘者?足利尊氏との戦いに全てを捧げた諏訪頼継の生涯【後編】 (5/7ページ)
共闘していた友の死について、頼継は何を感じたでしょうか。
直義と時行の相次ぐ死は、頼継をゆっくりと、確かに追い詰めていくのです。
室町幕府初代将軍・足利尊氏。頼継の強大な敵として長い戦いを繰り広げた。
決断の時!滅亡か恭順か…反尊氏を貫いた結末頼継は信濃国内を中心に尊氏方の周辺勢力を交戦し、自領を守るべく奮闘を続けていました。
正平10年/文和4(1355)年8月、頼継は塩尻の桔梗ヶ原で北朝の尊氏に味方する甲斐守護・武田信春、信濃守護・小笠原政長と長基親子らと衝突。善戦したもののあえなく敗れています。
信濃国では、既に南朝方の勢力は衰退。頼継がこれ以上の抵抗を続けるのは難しい状況でした。
同年12月、諏訪下社領の塩尻郷金屋で北朝方に敗北。頼継は宗良親王から離れる道を選びます。
翌正平11年/延文元(1358)年、一族の諏訪円忠(室町幕府奉公衆)が頼継に降伏を勧告。しかし頼継は受け入れません。
尊氏が祖父・頼重と父・時継の仇であり、共闘した直義と時行のことを思えば、今さらという思いもあったと考えられます。
しかし決断する時は、突如として訪れました。
正平13年/延文3(1358)年4月30日、足利尊氏が京で病没。将軍職は嫡男の足利義詮が継承して二代目となりました。
これをもって頼継は室町幕府に降ることを決意。高梨氏らと義詮に恭順する道を選びます。
室町幕府を支える一員となった頼継は、それまでとは変わって南朝への攻撃姿勢を強めていきます。