『豊臣兄弟!』豊臣秀長は実は「百万石大名」だった!徳川家康と並んだ秀吉の弟、忘れられた名将の軌跡 (4/5ページ)
この誓紙上では、秀長は上から三番目の官位だったことになります。
しかし注意すべきは、誓紙上もっとも上位であるはずの織田信雄(信長の次男)は、実際には実力は高くなかったという点です。彼の優れた点はその血筋だけでした。
よって、当時は徳川家康が、最も力を持つ大名とみなされていたのです。そうなると誓紙上は秀長もワンランク繰り上がることになり、彼は全国でもナンバー2の実力だったことになります。当時の彼は、完全に政権の中核を担う人物として扱われていたのです。
忘れられた名将豊臣秀吉は、全国統一を果たした後は国を秀長へ譲る意向を示しており、自分自身は朝鮮や明国への進出を目論んでいたとされています。朝鮮出兵の予兆はこの時すでにあったのでしょう。
秀吉の壮大な野望のことはともかく、彼がそのように考えていたのは、秀長が政権運営を任せられるほどの力量を持っていたからに他なりません。
しかし、現代では秀長の知名度は高くありません。重要人物であるにもかかわらず、彼が忘れられていることは不思議ですね。