『豊臣兄弟!』豊臣秀長は実は「百万石大名」だった!徳川家康と並んだ秀吉の弟、忘れられた名将の軌跡 (2/5ページ)

Japaaan

※『豊臣兄弟!』関連記事:

【豊臣兄弟!】加藤清正(伊藤絃)だけじゃない!賤ヶ岳で武勲を立てた「賤ヶ岳の七本槍」7人の功績と末路

【豊臣兄弟!】利家の裏切りではなく“勝家の愛”を描いた第32回『賤ヶ岳の決闘』を史実と共に考察

豊臣秀長(Wikipediaより)

豊臣政権が形を整えるにつれ、秀長の立場はさらに強まっていきました。

賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が敗れたことは政権の転換点となり、秀吉は大坂城の建設を進めて全国支配への道を歩み始めます。

天正十二年の小牧・長久手では信雄と家康の連合軍と和解し、秀吉は従三位権大納言に叙任されます。

「『豊臣兄弟!』豊臣秀長は実は「百万石大名」だった!徳川家康と並んだ秀吉の弟、忘れられた名将の軌跡」のページです。デイリーニュースオンラインは、豊臣兄弟!豊臣秀長戦国時代大河ドラマカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る